大判例

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最高裁判所第三小法廷 昭和55年(オ)301号 判決 1980年10月28日

上告人

大成不動産株式会社

右代表者

加藤進

上告人

加藤進

右両名訴訟代理人

中田真之助

守田和正

被上告人

福田勝馬

右訴訟代理人

安藤武久

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人らの負担とする。

理由

上告代理人中田真之助、同守田和正の上告理由第一点ないし第五点について

所論の点に関する原審の認定判断は、原判決の挙示する証拠関係及びその説示に照らし、正当として是認することができ、その過程に所論の違法はない。論旨は、ひつきよう、原審の専権に属する証拠の取捨判断、事実の認定を非難するか、又は独自の見解に基づいて若しくは判決の結論に影響しない部分について原判決の不当をいうものであつて、いずれも採用することができない。

同第六点について

建物賃借人は、その賃借権を保全するために、債権者代位権に基づき、建物賃貸人に代位して、土地賃貸人に対する建物買取請求権を行使することは許されない、と解するのが相当である。原判決に所論の違法はなく、所論引用の判例はその変更の必要がない。論旨は、採用することができない。

よつて、民訴法四〇一条、九五条、八九条、九三条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(伊藤正己 環昌一 横井大三 寺田治郎)

上告代理人中田真之助、同守田和正の上告理由

第一点〜第五点<省略>

第六点 原判決は、上告人加藤が本件建物賃借権を保全するため、西村が被上告人に対して有する借地法一〇条の建物買取請求権を西村に代位して行使する旨の主張を排斥したものであるが、右の点に関する原判決は民法四二三条、借地法一〇条の解釈、適用を誤つたものであり、また、借地法・借家法の立法趣旨にも違背するものであつて、右は判決に影響を及ぼすべき法令の解釈、適用の誤りであるから、破棄を免れない。

一、原判決は、西村が被上告人に対する借地法一〇条の建物買取請求権を有することは認めるものの、その代位行使については、御庁昭和三八年四月二三日判決民集一七巻三号五三六頁(以下昭和三八年判例という)を引用し、「債権者が民法第四二三条により債務者の権利を代位行使するには、その権利の行使により債務者が利益を亨受し、その利益によつて債権者の権利が保全されるという関係が存在することを要するものと解する」というのである。

しかし、いうまでもないことながら、債権者代位権は、当該債権者の権利保全を目的とする制度であり、債務者の利益享受を目的とするものではない。むしろ、債務者は代位権行使が認められる以上、その結果として不利益を蒙ることがあつてもこれを甘受しなければならぬ立場にあるというべきである。従つて、右昭和三八年判例の如きは、代位権行使の結果として一般にみられる関係を説示するものとしてはともかく、債務者の利益享受とこれによる債権者の権利保全とを、代位権行使の要件として新たに要求するものであつて、民法の予定する代位権制度に過大な要件を加重するものであり、誤つているというべきである。

更にまた、右昭和三八年判例や、原判決は「本件建物の買取請求権を代位行使することにより保全しようとする債権は、本件建物に関する賃借権であるが、右代位行使により控訴人西村が受けるべき利益は本件建物の代金債権にすぎず、しかも、右買取請求権行使の結果、控訴人西村は本件建物の所有権を喪失し、不利益を受けることになり、また、右金銭債権により控訴人加藤の賃借権が保全されるものでないことは明らかである」という(御庁判例とほぼ同文である)。

しかしながら、これら判示もまた誤りというべきである。

すなわち、まず、代位行使の結果として債務者が取得するのは、なる税代金債権――金銭債権にすぎないが、この場合、代位行使の目的たる権利は、建物買取請求権それ自体であつて、その代位行使の効果として生ずる金銭債権によつて債権者の賃借権が保全されるわけではないのは当然のことであり、かかる判示は、代位の目的たる権利と、代位行使の結果発生する権利を混同し、後者の性質から代位行使それ自体を否定するものであり、誤解というべきである。

更に、昭和三八年判例が「買取請求権行使の結果、建物の所有権を失うことは、(債務者)にとり不利益であつて、利益ではない」(原判決も同旨)とするのは如何なる意味であろうか。

債権者代位権の行使が、債務者の有する取消権、解除権、相殺権等についても認められることは、疑いのないところである。これらの権利にあつては、たとえば契約が取消または解除されれば、債務者は義務を免れる一面、反対給付を受ける利益を失うのであり、相殺にあつては自己の債権を失うのである(更に一歩を進めて考えると、金銭債権の代位行使においても、債務者は一方で債権が消滅するのであるから、計算上利益が生ずるわけではない)。建物買取請求権は、これらと同様な形成権であつて、一方で権利を取得し、一方でこれを失なうことがあつても、何ら異とするに足りない。

そもそも、買取請求権が、その行使の結果、代金債権を取得する反面、建物所有権を失なうことは、別段、代位権行使による場合に限らないのであり、然らば、買取請求権行使の結果、その請求権者は、昭和三八年判決や原判決によれば、常に不利益を受けることに帰する。そう解するのであれば、一体、不利益を受ける「権利」や「請求権」なるものが存在するのであるか、あるいは昭和三八年判例や原判決は、建物買取請求権は権利の名に価しないとでもいうのか、が問われなければならないであろう。

(なお、右昭和三八年判例が、代位権行使の結果が債務者にとり不利益である、というのは、買取請求権行使の効果として債務者が取得する代金債権の額が建物の価格に止まり、借地権価格を含まないと解されていることに起因するかとも臆測されるが、それは、ここで論ぜられるべき問題とは次元を異にするものである。但し、御庁昭和四七年五月二三日判決(判例時報六七三号四二頁)は、買取価格とは、建物自体の価格のほか、その土地の諸般の事情を総合考察すべきものとしている。)

更に、現実の問題に立ち帰つても、買取請求権が行使されなければ、建物所有者は、その建物を土地上から収去しなければならないことに帰するだけであつて、それに対する代償、対価は何ら得られない。これに対し、買取請求権が行使せられれば、建物所有者はその建物代金額を取得し得るのであるから、これを以て不利益とするのは不可解というほかはない。そして、このように処理することによつて建物収去という社会経済上の損失をも防止しようとすることこそが借地法の定める買取請求権制度の目的なのである。

以上の点から、原判決の依拠する御庁昭和三八年判例は債権者代位権ならびに建物買取請求権の制度、理論に鑑み、誤りであるというべきであり、右昭和三八年判例は変更さるべきである。

二、更に、債権者代位権が、本来は、債務者の一般財産の保全を目的とする制度であるとしても、特定債権の保全のためにもこれを行使し得ることは、判例(古くは大判明治四三年七月六日民録五三七頁などから、近時の御庁昭和五〇年三月六日民集二九巻三号二〇三頁など)、学説の認めるところである。

そして、これら――たとえば、登記請求権の代位行使、賃借権にもとづく妨害排除請求、あるいは本件の場合――が代位権制度の「転用」だとされるとしても、各場合において、債権者の利益保全が代位権行使によつて債務者の総財産に加わる利益と直接的関係にあることを要するか否かというように一般的な問題として定立する必要はなく、当該の――ここでは、本件買取請求権の――問題自体について、当否を論ずべきであるし(注釈民法(15)(鈴木禄弥)三八三頁)、ある具体的な結果を導くことが妥当とされる場合に、それを導くためのより直截な法的手段・法技術が十分開発されていないような場合で、代位権を「転用」することに弊害がないか、または若干の弊害があつても、その妥当な結果と比較して僅少のものである場合には、これを認めるべきものである(星野英一・法学協会雑誌九三巻一〇号一五七一頁)。

而して、本件事案の如き場合に、買取請求権の代位行使が認められないとすれば、借地人から買取請求権が行使された場合は、借家人は地主即ち新家主に対抗できるのに、たまたま借地人が買取請求権を行使しなかつたために借家人が明渡を余儀なくされるというのでは不当であり、借家人に建物を明渡させるために、地主、借地人、第三者(借地権譲受人)が共謀することを可能ならしめることにもなり、著しく不公平かつ妥当性を欠く結果が招来されるのであるから、買取請求権の代位行使は肯定されなければならない(注釈民法・前掲、鈴木禄弥「借地法」下一三一〇頁、星野英一「借地借家法」(法律学全集)三六一頁、甲斐道太郎・判例評論二二四号三六頁(判例時報八五九号一五〇頁)、篠塚昭次「不動産法の常識」下九一頁、来栖三郎「契約法」(法律学全集)三八四頁、水本浩「債権総論」九六頁)。

殊に、本件の如きは、前記第五点<省略>で述べたとおり、被上告人ないし河上、高橋、西村の三者間に借家人たる上告人らを立退かせるための合意ないし通謀があつたと認められるのであるが、右合意ないし通謀が証拠上十分には立証し尽されていないと仮定すれば、一層右の解釈が肯定されなければならないのである。

すなわち、一般的には、右通謀ないし合意の立証あるいは判断は困難なのであり(注釈民法・前掲、広中・前掲八頁、椿寿夫・民商法雑誌四七巻五号八一一頁、甲斐・前掲三五頁)、その困難さを放置したのは、せつかく合意解除の場合には、地上建物賃借人に対し得ないとした判例法理――第五点既述の御庁昭和三八年二月二一日民集一七巻一号二一九頁――が実際上大きな抜け穴を残し、ほとんど無に帰することになるからである(椿寿夫・法律時報三五巻七号八七頁、星野英一・法学協会雑誌八二巻一号一五二頁の各右判例批評、甲斐・前掲三四頁)。

まさに、このような見地からも、建物賃借人の代位権行使を認める「必要は、甚大」(注釈民法・前掲)なのであり、かつ、これを否定する昭和三八年判例は、理論構成がおかしく(星野「借地借家法」三六一頁)、もはや変更されて然るべきものなのである。

三、ところで、買取請求権を代位行使し得る借家人は、建物の譲渡前に入居していた者に限るべきであるとの見解(星野・前掲三六一頁)に従うとしても、本件における上告人加藤は、高橋の建物譲渡に先立つ昭和四〇年から本件建物を賃借、占有してきたものであるから(原判決一四丁)、右見解によつても、上告人加藤の建物買取請求権の代位行使は肯定されるところである。前記昭和三八年判例は、建物およびその敷地借地権の無断譲受人から新たに建物を賃借した者から買取請求権が代位行使された事案であり、右見解からすれば、理由はともかく結論は妥当とされるところであるが、本件とは事案を異にするのであつて、仮りに右昭和三八年判例が変更されないとしても、本件は、これと牴触することにはならず、本件の場合には、右判例と「反対の結論」(星野・前掲同頁)――すなわち、代位行使が肯定さるべきことになるのである。

四、更に付言すれば、かかる買取請求権の代位行使を認めなければ前述したような不公平、不都合を生ずる根本的理由は、「結局、土地とその上の建物とを別個の不動産とするわが国の法制がもたら」した矛盾(注釈民法・前掲)の一つであり(ここでも、来栖「契約法」三五四頁の「一般的には六一二条は建物の所有を目的とする借地権を規定の対象として予想していなかつたのではないか。」との指摘が想起される)、そうとすれば、土地とは直接権利関係のない建物の賃借人は、建物の賃貸人との間で契約関係の終了を来す事由――債務不履行、正当事由による解約等――の発生しない限り、それぞれの利用権者保護を目的とする借地法、借家法の立法趣旨から考えても、自己と関係のない土地の権利関係の変動によつて、その建物利用権を失なわせるべきではないのであつて、かかる見地からも、建物利用権の保護を目的とする法解釈が広く認められなければならないのである。

五、よつて、上告人加藤は、その有する賃借権を保全するため西村の被上告人に対する建物買取請求権を代位行使できるのであつて、原審における右代位行使の結果、本件建物所有権は西村から被上告人に移転し、上告人加藤に対する賃貸人としての地位も被上告人に承継されたものであるから、被上告人の上告人らに対する請求は失当であることに帰する。

この点において、右買取請求権の代位行使を許さないとする原判決は、民法四二三条、借地法一〇条の解釈を誤り、借地法・借家法の立法趣旨にも反するものであつて、右違法は判決に影響を及ぼすことは明らかであるから、破棄さるべきものである。

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